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チャンネル桜

2005年11月14日 (月)

子ども寺子屋 荒川春代氏

 机に突っ伏して寝てしまったので、寒さで6時過ぎに寝覚める。一瞬、PCの画面を見るとチカチカするので、目がおかしくなったかと思った。よく見ると、テキストエディタが全画面で開いていたところに、突っ伏して寝た際キーボードの「P」を押した状態になっていたようで、「P」だらけだった。昔のPCであれば、ビープ音の連続で寝られなかったところだろう。そういえばあの愛機8ビットパソコン SHARP X1turboIIIが懐かしい。この機種は、内部仕様がX1turbo Model30とほとんど同じであったが、2HDドライブが標準搭載された上、本体デザインが格好良かった。ただ、無理を言って今は亡き父に買ってもらったものの、購入後一ヶ月後には、本体仕様を一新したX1turboZが同じ値段で発売されたため、それ以来、SHARP製品の購入をやめようと思ったという悲しい想い出つき。いまになって捨てたのを後悔。

_2  朝食として、大阪のFさんから頂戴した、旭松食品「カットグルメ 味付納豆」を食べる。この納豆は、メーカーさんいわく、「日本初の高齢者向け」納豆とのことである。味付けしてあり、そのためか水分を吸ってテラテラであるが、糸がすぐ切れ、お年寄りが食べるには都合が良いのかも知れない。この納豆を食べ、「年をとっても、ガッチリ糸引き納豆を綺麗に食べる」という人生の目的が一つできた。

 今日は葛飾区議会議員選挙の開票日である。(ここから少しナマって)都会の選挙は日曜日すべてを投票にしてぇ~、開票はぁ~翌月曜日の朝から行われるだ(ナマり終わり)。自民党に党籍を持つ身としては、あまり大きなことはできないが、行き過ぎたジェンダーフリーへの警告などを女性の口から言い、また若手議員の仲間でもある民主党の早川久美子氏の応援をしていた。静岡県浜松市議の新村議員とともに街宣車にも乗り込み、選対にいた大学生(休憩時間、歴史について強引に話を聞かせる)とも仲良くなっていたので票が気になっていたが、今回見事トップ当選で6668票。「姉さん、その格好・・・・」というツッコミたくなるセクシー系なご本人だが、今後も行き過ぎたジェンダーフリーには女性としての意見を言ってほしい。

 10時、アンヤンウ・イケチュクさん(有限会社プラカード・ジャパン代表取締役)とwebサイトの打ち合わせ。納豆学会のサイトを一気にリニューアルする予定だ。webの打ち合わせのあと、白色人種がいかに有色人種から搾取してきたのか、民族分断、文盲を作るなどの愚民化政策などについて、ナイジェリアの例やインドのことなど、ビジネスそっちのけで話し込む。打ち合わせののち、市内での営業。

_1  13時から相談の方があるので昼食は「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシューつけ麺。あいかわらず、麺、チャーシューともに量が多い。13時過ぎから16時まで相談を受ける。17時、リフォームの件で高橋建設さんと打ち合わせ。問い合わせの電話などがあり、時間がなくなったため、夕食は大徳寺納豆を入れたお茶漬け2杯と豚肉の生姜焼き、訳の分からない組み合わせ。19時から町内役員選考委員会に出席。20時30分過ぎにお誘いを受けていた飲み会に顔を出す。22時過ぎに戻り、風呂に入りつつ、録りためておいた番組を見ながら、ビール500mlを3本。チャンネル桜に本居宣長の和歌を、いわゆる歌にして子供にも伝え、日本語の美しさを表現している岡美保子氏が登場した。ご実家が400年を越える伝統をもつ和菓子屋さんということで調べてみると柳屋奉善さんであった。是非、一度コンタクトをとってみようと思う。『TVタックル』では、田嶋陽子女史と三宅久之翁のやりとりがあり、途中でCMにいったのが残念だ。田嶋女史の「日本だってどっかの国からいっぱい拉致したんだよぉー」の発言に、「どこの誰がどこにだよ」との三宅翁。あわてて田嶋女史が大東亜戦争最中の朝鮮人強制連行説を唱えると、三宅翁の「その頃は日本だったんだよ」との正論。日韓併合から、いよいよ盛り上がるかと思っていたところでCM・・・・・編集を恨む。田嶋女史は、母校である高校の英語の先生であった。高校の先輩に聞いたとき、あんな人じゃなかったとの声も聞いている。TV的にはオイシイが教育の現場となると話は違う。価値観まで教える師ではなく、学問のコーチ程度にしてほしい。

 先日お会いした、荒川春代氏からお電話を頂戴した。荒川氏は、現在、修身など日本文化を伝える寺子屋のような塾を運営されており、チャンネル桜においても「子ども寺子屋 桜」という番組で、親子に日本文化を教えられている。生徒はもちろん板の間に正座で聞き、はじめとおわりの挨拶もしっかりしている。番組は、まず昔話や偉人伝を紙芝居にして、そこで日本語のリズムや心を学ぶ。つづいて修身の暗誦である。事業家としても、高級婦人服を扱われ、三越、高島屋などをはじめ100店舗を越える取引先をもつ実力者。17日にまたお会いするので、教育者として、経営者としてのお話を聞こうと思う。

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2003年10月号『到知(ちち)』

 大自然の法則に生きる 荒川春代

 この頃街中を歩いていると、あちらこちらで地べたに座り込んでいる若者を見かけます。本来なら若々しいエネルギーに満ちているはずの彼らに、まったく生気が感じられず、人目もはばからずにへたり込んでいる様子を見るたびに、私は本当の日本人の心はどこに行ってしまったのかと思わずにいられません。
 その人の性格や生きる姿勢は、体に表れてまいります。体に芯ができていない方は姿勢が極端に悪く、忍耐力に乏しい人になってゆかれます。このような若者が増えているのは、いまの日本社会に対する何か重大な警告に違いないと私は思っています。
 いまの若者を育てた親は戦後、アメリカGHQの占領政策にもとづく教育を施されて成人した方たちです。そこには、精神的にも文化的にも優れた日本民族を、再び立ち上がらせまいとするアメリカの巧妙な仕掛けがありました。それによって、愛国心や道徳など、かつての素晴らしい日本文化を失い、骨抜きにされた日本人が大量につくられてしまいました。この骨抜きにされた親に育てられた子どもたちがさらにおかしくなったとしても、当然のことと思います。
 私は、この流れを少しでも良い方向へ転換させたいという思いで、微力ではありますが自分の身近なところからいろいろな活動をさせていただいています。例えば中学生や高校生を対象とする楽生塾、幼稚園や小学校の子を対象とするリトル楽生塾もそのーつです。いまはゆとり教育の影響で学校の授業時間も減り、子どもたちの自由時間が増えています。例えば、毎日2時間テレビを観れば、1年間では学校の授業よりもテレビを見ている時間のほうが長くなるそうです。そして、そのテレビなどを通じてもたらされる情報が、子どもたちに悪い影響を及ぼすため、異常な犯罪もとみに増えています。子どもたちを放っておくのはとても危険なことだと思いました。
 そこで、彼らを集めて少しでも昔のように立派な日本人に育っていただくために、礼儀作法や正しい言葉遣いなどを身につけ、読み書き算盤に歴史の学習、さらには野球や自然教室まで幅広く行える場をつくったのです。いまの学校の教育による歪みを元に戻し、本当の日本人の心を身につける、いわば〝平成の寺子屋″なのです。
 決して学校の成績を上げることが目的ではなかったのですが、結果は嬉しいことに、学年トップの成績を上げる子も出て来ています。学校の勉強よりも楽生塾で習うことのほうがずっと楽しくて、いろいろと覚えてゆけるそうです。
 多彩なカリキュラムを組めるのは、「教育」は「共育」という理念のもとで支えてくださっているたくさんのスタッフの方たちのおかげです。どなたも人様のお役に立ちたい、教えることを通じて自らも学びたいという思いから、無償で協力してくださっています。もちろん主宰する私もお金は一切いただいておりません。それは私どもが、この世は出たものが返ってくる、つまり与えたものしか戻ってこないことを理解しているため、お人を生かせば自分も生かされ、幸せな人生を送ることができ、元気をいただけるからなのです。
 この大自然の法則は、15年ほど前、ある不思議な体験を通じていただくことができました。
 それまで私は普通の主婦で、社会的な活動はしていません。幼い頃からクリスチャンとして育ってまいりましたが、私の心はもっと真実を、という思いが湧き上がってくるのを抑えることができませんでした。そしてある時期から、毎朝2時頃に鈴のように美しい鳥の声で目覚めるようになり、何か大きな力に導かれるように勉強を始めたのです。瞑想もしました。人を癒やす力も授かり、無償でいろんな方の病気を治して差し上げました。そうした活動の中で、一つひとつインスピレーションのような形で、私は大自然の法則を理解していったのです。
 私のもとには病を抱えた方ばかりでなく、次第に仕事や人生におけるさまぎまなトラブルを抱えた方が相談に見えるようになりました。その中で感じたことの一つは学歴にとらわれて自信をなくしている若い人があまりにも多いことでした。彼らと一緒に仕事をし、自信をつけてあげたいという思いから、夫とともに平成7年、アパレル、出版、食品など、幅広く手掛けるコーチャルという会社を立ち上げ、いまに至っております。
 そして仕事を通じてともに大自然の法則を実践し始めたのです。
 この世は全て想念で動いています。いまの自分の状態は、いままでに使ってきた心の結果であり、いま自分が使っている心が未来の自分をつくってゆくのです。自分の未来をよくしたければ、常に喜びと感謝の心を持ち、周りの方に喜んでいただけることを一つひと積み重ねてゆくことです。この実践を続けていけば、健康にもお金にも愛情にも恵まれ、幸せな人生を送ることができます。家族の幸せは保たれ、家庭にも職場にも和が生まれてくるのです。
 いまの日本は混迷の極にありますが、1人ひとりが大自然の法則に則り、相手を思いやる心を取り戻してゆけば、必ずその心が国を思う心へと発展し、日本は本来の輝きを取り戻していくと確信しています。たとえ小さくて構いません。太陽のように、いつも明るく学ぶ喜ぶ心で毎日を過ごしてゆかれる方を増やしてゆくことが、天よりいただきし私の務めと思っています。
(あらかわ・はるよ=コーチャル取締役)



2005年11月11日 (金)

潮匡人氏、西村幸祐氏

DSC01805 4時過ぎから6時ぐらいまで仮眠。マンガ喫茶とはいえ、リクライニングシートなので、それなりに仮眠できる。

 朝食に、昨日買った「フランスみそ」(ブリアンパン菓子店 沼田市上原町1610 お客様相談室 沼田市西倉内町679 0278-23-8181)「牛角食堂 焼肉風味 醤油だれ納豆」。フランスパンに甘い味噌だれを塗ったフランスパンだが、なかなかイケる。_1割り箸を持ち合わせていなかったので、ドリンクコーナーにあったストロー2本を箸にして納豆をかっ込む。静かな寝息、マンガのページをめくる音程度の静寂の空間に響く納豆の音と香り。視線が痛い。10時過ぎ、新宿に移動し、高島屋の地下食品売り場をウロウロ。塩納豆をはじめ、各地区の納豆を購入。ついでに珍味コーナーを試食しながらまわる。周りには、定年後、オカーサンに渋々ついてきたオトーサンや元気ハツラツのおばちゃんばかり。_2まずは、大好物である「ほやの塩から」(十字屋 宮城県塩竃市藤倉3丁目5-14)を購入。ビールの肴はさることながら、熱っーーいご飯にのせ、その上から冷たい水をかけて食べるのもオツなものである。キュウリを千切りしたものと和えてもいい。以前に梨の千切りも入れてみたが、これもなかなかの出来であった。珍味の楽しみと言えば、あえて買ったことがないものを買ってみる冒険もある。そこで目についたのが、「かつお塩から」(横田屋本店 宮城県気仙沼氏八日町1丁目4-8 0226-22-0175)。瓶をのぞき込むと、ドロリとした粘りけあるブツが見える。思わず購入。_1そうこうしているうちに歯医者の時間となったので、新宿の歯医者で歯石の除去。30分程度で終わったが、次回は3時間程度かけての徹底したクリーニング。いままで虫歯で悩まされてきたので、ここら辺で完全に直したいと思う。昼食は昨日頂戴したサンドイッチや総菜を新宿の公園のベンチで食べる。近くの自動販売機に「ドクターペッパー」があったので購入。高校3年生のとき、アメリカのシアトルでお世話になった家族に「ドクターペッパー」教育を受けたので、いまでも見つけるとつい飲んでしまう。いかにも体に悪そうな味が、なぜか癖になるのである。そのまま渋谷に移動し、チャンネル桜へ。A嬢とも現地で待ち合わせ、担当者であるS嬢と雑談。ちょうど評論家として『正論』などでご活躍の潮匡人氏とお会いしたので、ご挨拶ののち、日本海のメタンハイドレートについてなど雑談。潮氏は航空自衛隊入隊後は第304飛行隊、長官官房広報課等を経て、三等空佐で退職され、現在は評論家。軍人出身の知識を活かしての論評は参考にさせて頂いている。



 潮氏がお帰りになったのと入れ違いに、フリージャーナリストの西村幸祐氏にもお会いした。「是非、新番組『今日の国賊』をお願いします」と訳の分からないことなど言ってしまった。西村氏の著作、論評には大変鋭いものがある。

 その後A嬢を含めて、チャンネル桜・水島社長と3時間ほど打ち合わせ。A嬢に交通費を渡し、新幹線で帰ってもらうことにして、新宿に移動。TV企画のリサーチ等の打ち合わせ。せっかくなので紀伊国屋で本あさり。袋いっぱいに漫画、小説、歴史、政治、経済ものを買い込み、愛車にて帰路につく。

2005年11月 8日 (火)

名越二荒之助(ふたらのすけ)先生

 話が盛り上がり、生ビール、生ハムメロン、枝豆で軽く飲み飲み。1時頃別れ、車のなかで仮眠。愛車プリウスで寝るのも慣れた。

 6時過ぎに自宅に戻り、郵便物の関係を処理。

_1 8時過ぎに、あさりの味噌汁(今日は信州米麹の味噌)、ご飯、旭松食品のマヨネーズ納豆(マヨネーズとタレがデスペンパックになっており便利になった)、2個目玉焼きで朝食。
_1 甥っ子が遊びに来たので、甥っ子と一緒に食べるが、甥っ子を膝の上に乗せて食べても、世話に慌ただしく、食べた気がしない。
 「おじちゃん」とはまだ言えないので、「あ~ちゃん」であるが、「あ~ちゃん、ウマウマ」と言われたら、スプーンの上に食べ物をのせる。口に運ぶのは自分でやらせるが、当然こぼれるので世話が大変。

 食後、各種事務手続きをしつつ、電話での相談やパソコン関係の発注が相次ぎ、あわてて合併特別決算委員会に出席。案の定、合併時に関わる事務手続きの不手際に関して激しい質疑がある。この不手際のなかには、「優しさ」がかえって裏返ったものもあり、例えば某第3セクターへの行政の減資(出資の放棄)が5000万円ほどあった。その際の赤字は600万円程度。通常、減資をする行為はその会社の信用度を落とすことになるので、株主総会などでは激しく議論されるところ。そもそも、1億円規模の会社における600万円の赤字で減資はありえない。行政として、第3セクターを助ける「優しさ」の意味での減資であったかも知れないが、まずは「株主平等の原則」を破っている。今までは、行政の出資が75%、株主総会でも絶対多数であり、減資に必要な特別決議もできる。しかし、行政の出資だけを減資したことによって、相対的に他の株主の価値が上がるのである。行政が75%から50%に出資比率が落ちた変わり、いままで10%の株主が20%以上の株主になった。また、この行為を第3セクターゆえ議会で承認しているが、第3セクターの社長を当時の現職町長がやっており、経営者としての立場で株主総会で決議、その後、議会においては首長として議案を提出と健全ではない。その他にも土地の買収にかかわる登記の問題などがあり紛糾。

_1 昼食は、市役所近くの「チャイナハウス 日囍」(電話:0257-24-7219)でタンタンメン 600円。テーブルの上にあったラー油をたっぷり注ぎ、コク辛にして食べた。夕方、某ホテルのレストランで打ち合わせ。ヒレカツ定食、生ビール3杯。ご馳走になってしまった。21時に帰宅し、一度、仮眠をしてから仕事をすることにする。

DSC01789 今日、名越二荒之助先生(著作多し。公式サイトはこちら)から激励の葉書を頂戴した。
 最後には

「小生既に八十二歳。
 あとの日本をよろしくお願いします」

とあった。縁起でもない。
 名越先生は大正12年、岡山県生まれ。山口高商を卒業し、ソ連に抑留され、復員後、高校教諭・教頭を歴任。元高千穂商科大学教授である。ban
バングラデシュパラオ(アンガウル州は公用語が日本語)などの親日国の国旗を並べるパフォーマンスでも有名。大東亜戦争時、そして戦後における本当の朝鮮半島、台湾などとの交流を伝え、またソ連抑留の厳しい実体験を知る方として貴重である。
palau 田形先生同様、ご高齢であり、是非、早めに講演会を企画したい。来週の皇室典範問題の集会でお会いするので、その際にでもお話したい。激励の葉書の御礼がてら、長生きをしてほしいとの意味もこめて、納豆を送った。なにせ、名前が「二荒之助」である。伝票を書く手にも力がこもる。日露戦争に行き、奉天の会戦にも参加した名越先生のお父上は、子宝に恵まれなかったため、日光の二荒山(ふたらさん)神社にお参りしたそうである。二荒山には、男体山と女峰山、そして真ん中に、子宝を授かる太郎山があり、願を掛けたことから、名越先生のお名前は「二荒之助(ふたらのすけ)」。
 妹の友達には「りんご」ちゃんと「りんどう」君がおり、植物系の名前もいいな、と思っていたが、「二荒之助」にはまいった。「隼」や「大和」「武蔵」も捨てがたい。田形先生の意志を継ぐ意味で「飛燕」か。はたまた「月光」。ここまでいくとシャレ・・・・とは言うのの、お嫁さんがいないのが現実だ。

2005年10月25日 (火)

伝説の男 田形竹尾

 夜通しのドライブで朝4時に自宅到着。2時間ほど仮眠してから、溜まっていた新聞や雑誌、定期購読しを半日かけて、読んだり、クリップする。溜まったメールも処理。納豆ペーストを塗ったサンドイッチを試作したが、なかなかしっくりとした味にならない。海外で売れる商品にしたい。

 午後から1歳の甥っ子が来たので、電車ごっこをしたり、1時間ほど遊ぶ。柏崎準倫理法人会の事務仕事で印刷会社や銀行に寄ったあと、自衛隊柏崎募集事務所に中越大震災時のビデオをとりにいく。第2普通科連隊が撮影した現場の生のビデオである。まだ民放の局では流れたことのないブツなので、昨日の失敗をしないよう防衛庁の幕僚広報の許可をもらい、チャンネル桜の番組で紹介したい。しっかりと陸上自衛隊の高田駐屯地の活動をアピールし、「世界最大の原子力発電所があるまちは、世界一安全なまち」の実現に近づくと確信している。また、先日のバーベキューの写真も所長から頂戴する。感謝。

 19時から柏崎青年議所の打ち合わせ。

 22時から某経営者集まりの飲み会に2次会から参加する。

_rrrr 都内に行ったとき、いつも貴重なお話を伺う田形先生に柏崎にお越し頂いての講演をお願いしている。できれば柏崎アワーとしてひとつの番組を作り、貴重な生のお話を残すべきではないかと思っている。支那事変、大東亜戦争の十年間を陸軍エースパイロットとして戦い、特攻隊員の教官をつとめ、最期にご自身も8月14日に特攻の命を受けるも終戦を迎えた田形先生。ビルマをはじめとする独立を願うアジア諸国の歓迎、南京大虐殺があったとされている南京にも陥落の3週間後に現地に行き、現地の人と楽しく宴会をした話や、日本国内においてもインド独立のために活動していたビハリ・ボース氏との話も貴重だ。初対面のヒトラーにもかみついた、「偉大なる指導者(ネタジ)」チャンドラ・ボースとも会っており、二人のボースと同時に話をした戦争経験者で生存しているのは田形先生のみであろう。
051003_11060001 *連絡がとれなくなった戦友に会うため、昭和31年参議院全国区に立候補したご経験もある。
 わが柏崎市とのかかわりとしては、北条出身、超弩級の陸軍エースパイロット樫出勇(かしいで いさむ)大尉と同じ釜の飯を喰った仲であることだ。来週、視察から戻ったら、各方面の人に協力のお願いにあがろうと思う。田形先生89歳、ご高齢でも毎日2時間の道のりをお一人で移動し、チャンネル桜の事務所まで通われている。

*田形竹尾先生は平成20年3月10日8時51分に91歳でご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 なお、告別式の模様は
こちら にご報告してございます。