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自衛隊

2006年1月 9日 (月)

第2回中越地震チャリティコンサート

 4時起床。朝食もとらず12時近くまでひたすらメールとブログを書く。

DSC00258_t 12時、富山のます寿し、白菜の浅漬け(鷹の爪たっぷり)、沢庵、鯖の照り焼きでブランチ。納豆を食べたかったが、ますの寿しにはどうも合わないような感じ。

DSC00260_tDSC00259_t 13時前、今日の第2回中越地震チャリティコンサートの会場である市民会館に移動。ビデオ収録の準備をしたり、高校生や大学生と懇談。
 全席1113席の市民会館の4割近くが埋まるお客さんがお越しになり、大雪のなかありがたい限りである。
DSC00261_tDSC00262_t 演奏開始前、休憩中などにロビーでも演奏や歌が披露され、多くの人を楽しませていた。演奏者と観客は4m近い高低差があったが、この高さと同じ高さの雪が積もっていることを考えると凄いものがある。今日も、第2普通科連隊をはじめ、陸上自衛隊が除雪作業にでている。

DSC00264_t

 演奏のトップは、陸上自衛隊第12音楽隊、柏崎市吹奏楽団他による復興へのファンファーレ、アトランタオリンピックで使われた『サモン・ザ・ヒーロー(Summon the heroes)』。DSC00271_t 続いての柏崎高校は、プロレス好きとしては仮面の貴公子ミル・マスカラスの入場テーマとして認識している『スカイハイ』、最近、故本田美奈子氏が歌っている姿がよくTV放送される『アメイジング・グレイス』。そして、トヨタ・ノアのCMで流れる『愛するデューク』。熟練の柏崎市吹奏楽団は、『魔法戦隊マジレンジャー』で子供も心を動かし、『涙そうそう』で大人も虜にし、最後は『リトルマーメイド・メドレー』でシメた。
DSC00266_t そして陸上自衛隊第12音楽隊。最初は、アイスクリームにエスプレッソをかけたものを意味する曲名『ジェラート・コン・カフェ』がついたラテン系のフュージョン。NHKのTV番組で有名な『日本映像の20世紀』。DSC00267_t「うさぎ追いし・・」ではない、五木ひろしの『ふるさと』。副隊長のボーカル付きである。大塚愛の『SMILY』、昨日結婚したばかりという女性隊員が歌う『世界の約束』。夫となった方も自衛官であり、いまごろは長野で除雪作業をしているという。DSC00270_t 最後は、『聖者の行進』。テネシースタイルでの陽気なシメとなった。
 休憩をはさみ、柏崎市民合唱団による『雪のふるまちを』『ふるさとが好き』。柏崎総合高校、OG、帝京長岡高校、新潟産業大学『おほなゐ』(阪神淡路大震災へのオマージュ第3楽章「復興とそして祈り」)、中越大震災後に特によく聞かれた『Jupiter』、DSC00274_t最後は『ドリフのずっこけ大集合!』。『8時だよ全員集合』世代にはたまらないチョイスではあり、ヒゲダンスや加トちゃんの「ちょっとだけよぉ~」もあった。ちょっと照れがあったようで、動きがダイナミックではなかったが、心意気が良い。「ちょっとだけよぉ~、アンタも好きねぇ~」のときに流れる『Taboo』は名曲だと思う。
 この後、柏崎市内でも一番被災が多かった北条の北条中学校をはじめ、鏡が沖中学校との演奏、加山雄三の名曲『君といつまでも』『お嫁においで』『サライ』のグランドフィナーレもあったが、非常に残念ながらお客さんとの約束の時間になってしまい、会場を後に。

 16時30分、事務所で某社経営者と打ち合わせ。新規事業の販路についてつめる。

F1000002 19時から岬館にて、柏崎青年会議所の委員会活動。来週18日に行われる新年総会の準備である。

DSC00275DSC00277 21時、自宅に戻り、鮭の粕漬けと小粒納豆での夕食。発泡スチロールの容器だとこうはいかないが、堅いプラ系の容器の場合には、安心して撹拌できる。マイ納豆鉢を汚さずに済むのは良いが、やはり陶器の器を使わないと、豊かな納豆飯?をこれから食べるという感じがしない。

 故・田中角栄首相に関する本を読みながら長風呂。西山町が合併したいま、「田中角栄という政治家も柏崎からでた」と言われるであろう。どのような人物だったのか、再び勉強しようと思う。

2006年1月 8日 (日)

陸上自衛隊:第2普通科連隊、第12音楽隊

 5時起床。新規事業の業務計画やメールの処理。先日壊れたハードディスクを早く交換したいものの、まずは仕事である。

DSC00242DSC00244 8時、納豆茶漬け、白菜の漬け物、豆腐と油揚げの味噌汁で朝食。母親が漬けた白菜の漬け物であるが、甥っ子が遊びに来たとき、漬け物も食べるので、鷹の爪を少なくしたようだ。辛みが足りない感じである。

 あまりの大雪のため、いよいよ災害派遣として、陸上自衛隊に出動要請があった。柏崎の地を守る高田の第2普通科連隊が除雪のため出動した。柏崎市議会では未だに「自衛隊」という言葉を発するだけで野次が飛ぶが、既に自衛隊の存在そのものに反対など唱えている時代ではない。自衛隊の力も使って、いかに市民の生命と財産を守るかにかかっている。

_1DSC00241 昨日の帰りに思わず購入した、「紀州限定、梅干しキティちゃん」を携帯電話につけた。たらこ、りんご、梅干し・・・・・ジャラジャラと3つのキャラクターものがついた電話はすっかりギャル男(お)携帯の様相を呈している。真っ赤な携帯で自称・シャア専用であるが、やわやわになってきた。
 そのうち、金色のメッキを施した、「クワトロ・バジーナ専用 百式」携帯でも発売されないかと期待している。

 午前中は来客があり、相談の解決のための仕事。

DSC00245_tDSC00247_t 12時、伊勢で買ってきた伊勢うどんに蓮根の天ぷらをのせて、昼食。祖母も柔らかくて美味しいね、と喜んでいた。毎年、伊勢に行ってきたあとに食べさせているが、案の定、「初めて食べる」とのことであった。

DSC00252_tDSC00249_t 13時から、市民会館に行き、明日行われる第2回中越大震災復興支援コンサートの準備と陸上自衛隊第12音楽隊の隊員による、地元柏崎の高校生への音楽指導風景の撮影である。指導風景は、チャンネル桜での「柏崎アワー」か「防人の道 今日の自衛隊」で使いたい。
DSC00248_t 音楽隊の隊員による懇切丁寧な指導はもとより、なぜ自衛官になったのか、どうしたら音楽を専門にする自衛官になれるのか生徒から質問がでていた。何名かの生徒さんに声をかけ聞いてみると、自衛隊についてどんな組織なのか詳しく教えてもらったことはなく、戦争するための兵隊だと思っていたという。「戦争しないために、自衛隊がいるんだよ」と、アヤシーおじさん三井田として、独り熱く語ってしまった。
DSC00253_tDSC00255_t 地元の4年生大学である新潟産業大学の生徒さんも柏崎総合高校の生徒さんと一緒になって、仮設住宅に行って体験し、レポートをまとめてあった。大学と高校の接点が増え、若い世代の力が結集してくれることを感じた。柏崎も不安材料ばかりではないと嬉しく思う。

 17時過ぎに事務所に戻り、事務仕事。結局、データの喪失が怖いので、19時、ハードディスクを入手するため、M氏を誘って長岡に移動。PCデポ長岡店で必要なものを購入。

F1000002F1000001 ついでに「得々うどん」に寄り、夕食。「かつわんセット 910円」を注文したが、M氏が「キムチ煮込みうどん」を注文したものの、辛さでギブアップのため、途中で交換。確かに辛いが、顔を近づけるのも躊躇するほど熱せられた土鍋が強敵。大汗をかいて完食。

 20時30分過ぎ、自宅に戻る。今日は、うどんづくしであったので、整腸剤として納豆を1パック、味を付けずに食べる。お土産を渡すため、K嬢に事務所に来てもらって、パソコンを直しながら雑談。

 23時過ぎ、パソコンが完全に復旧したものの、疲れからか机に突っ伏してそのまま仮眠。

2006年1月 1日 (日)

うるう秒、妄想?海上自衛隊音楽隊

*政治家は時候の挨拶が禁止されております。インターネットについては明確な規定はないものの、自粛すべきという見解も多いので、明確な年頭のご挨拶ができず申し訳ありません。

 1時過ぎ就寝。6時起床、早速、年賀状などを整理。
 今年の元旦は、うるう秒の関係で通常の年より「1秒」長い1日である。少し得した気分。
 親戚の新年の挨拶で、朝食や昼食の区別なく、来る度におせち料理を突きながら酒を飲み、毎日続けたら確実にダメ人間になる生活である。
 自分としては珍しく購入した年末ジャンボ宝くじは、15000円の投資中1500円というお約束の10%リターン。

DSC00069 18時過ぎ、上等の骨付きラム肉を頂いたので、発酵バター、バジル、隠し味で醤油を入れソテー。胃が疲れているのでご飯ものは、納豆茶漬けにして夕食。祖母には、塩辛納豆をもちでくるんだものを2個。

 初夢は、元旦の夜に見る夢。元旦に妄想する?私の政治的な初夢は、やはり海上自衛隊の誘致。しかし今年だけでカタのつくものではない。少しずつでも前進するような小さな夢を叶えていくやり方が懸命かと思う。
 今年は、海上自衛隊誘致への理解者がさらに増えるとともに、こういった主張をすることによって、

 「柏崎は主張すべきことを主張しているな」
 「おいおい、柏崎ってのは活力のある街だな」

と市内外、いや県内外の多くの人に言われるようになることが第一段階。
 第二段階は、妄想が入って、以下のようなものである。
 柏崎に夏の訪れを告げる「ぎおん柏崎まつり」。毎年7月、3日間にわたって開催される。その初日を飾る市内小学生によるマーチングバンドパレード。中央商店街のアーケードには、我が子、我が孫を見にきた家族をはじめ、カップル、柏崎へ観光に訪れた人々など観客があふれ、車道には楽器をもった小学生の列。そして、先頭には、陽の光があたり、目にしみるような白い制服を着た大人の一団が静止している。
 「まだか、まだか」と観客がざわめきだしたところに、女性のよく通る場内アナウンスが、商店街各箇所に設置されたスピーカから流れる。

「ただいまよりぃぃぃ、
 平成18年度ぉ、マーチングバンドパレードを
 開始いたしますぅぅぅ。」

*屋外なので、エコーがかかったように聞こえる

 アーケードの観客からは大きな拍手。

_2  「先頭はぁぁ、ゲストバンドぉぉ、
 海上自衛隊<柏崎>音楽隊
 
です・・・」

 間髪入れず、整列した海上自衛隊音楽隊によるこの曲の演奏が始まるのである。 


[Windows Media Player]形式。
プレイボタン(一番左)を押すと始まります。
*Windows Media Playerは無料でダウンロードできます。

 お正月なので、妄想もお許し頂きたい。

_1 ちなみに柏崎のマーチングバンドは、柏崎青年会議所の先輩が昭和52年に働きかけを行ったことから始まっている。

2005年12月26日 (月)

奇跡の艦!「駆逐艦 雪風」(ゆきかぜ)

 雪かきや郵便物やFAXなどの処理をし、3時就寝。8時起床、シャワーを浴び9時から事務所で打ち合わせ。

F1000002 12時、朝昼兼用で、納豆丼。今日は小粒納豆に、刻んだネギ、多めの鰹節、若布を入れてみた。鰹節がワサワサとした食感にならないように、撹拌ののちしばし寝かせる。若布の水分もあり、なかなか良い感じの納豆丼となった。食べ終わってから、卵黄をのせれば色あい、栄養的にも良かったのではないかと後悔。

 午後からは年末の挨拶まわり。自宅にいらっしゃらない場合も多くもあり、市内をウロウロ。市内の渋滞もあり、あっという間にあたりは暗くなってしまった。

F1000003 19時過ぎ、自宅に戻り、夕食。作っている時間もなかったので、某スーパーで時間経過により半額になっていた生鮨を購入。余りの寒さからビールではなく、たまには熱燗を飲んでみることにし、つまみとして知人からもらって冷凍しておいた、モンゴウイカの薫製を発酵バター焼きにする。

F1000004 どの木材のチップで薫製にしたのかまで聞いておけば良かったが、そのまま食べても薫製独特の香りと、塩気がちょうど良い。超弩級、いや、超「『こんごう』型イージス艦」級の薫製である。そのまま食べても良かったが、発酵バターの脂気と微妙な酸味も合うのではないかと思い、焼いてみた・・・・これが大正解。最初、熱燗と合わせたものの、急遽、ビールを冷蔵庫から取り出し、ビールをグビグビと飲んで、喉を潤わせたのち、肉厚のイカを噛み締める。ギュッ、ギュッという歯ごたえとともに、燻した香り、そして発酵バターの脂が口中に広がり、最後に発酵した乳の酸味がシメる。ついビールがすすみ、飲み過ぎた。昼の疲れもあり、21時過ぎ、一度、寝ることにする。

 先週、東京にいた土日の2日間は晴天であったが、その頃、柏崎は激しい雪風であったことだろう。その雪風という名前をつけた『奇跡の艦』がある。
yukikaze  それが昭和15年1月20日に完成した「駆逐艦 雪風」。
 「駆逐艦 陽炎」級の8番艦である。初戦は、昭和16年12月8日、真珠湾攻撃と同時に実行されるフィリピン攻略作戦。「戦艦 大和」とともに「菊水一号作戦」、つまり沖縄特攻にも投入されるが、「戦艦 大和」の沈没により、戦闘終了とみなし帰投。その間、米軍のロケット弾も当たっていたが、信管の不良により不発。硫黄島、沖縄が占領された後の戦闘においても、米軍の機雷が当たっても作動せず、ほぼ無傷で終戦を迎える。しかも、「駆逐艦 雪風」の乗組員の戦死者は10人に満たない。これが『奇跡の艦』と言われるゆえんである。
 終戦後は、武装を全てはずし、特別輸送艦として、かつて戦場だった太平洋の各所で兵士をのせ、故郷である日本に運んだ。
 昭和22年5月、「駆逐艦 雪風」は賠償艦(賠償の意味で)として、中華民国国民政府(台湾)に引き渡しが決定。引き渡し最後の日について、海軍記者であり、後に産経新聞紙上で連載をしていた伊藤正徳氏は『聯合艦隊の栄光』にこう書いている。

 引き渡し式が上海の埠頭で行われた。
 艦内はくまなく整頓されて、塵一点をとどめず。
 検査のため来艦した
 米英の海軍将校達は感激して言った。
 「自分たちは、こんなに整頓された
         軍艦をかつて見たことがない!」と。
 雪風は最後の日まで、日本の名を守った

 中華民国国民政府(台湾)での艦名は「丹陽」。しかも駆逐艦ながら中華民国国民政府(台湾)艦隊旗艦として使われることになった。

*通常であれば、駆逐艦クラスでの旗艦はない。日本の旗艦は「戦艦 長門」や「戦艦 武蔵」「戦艦 大和」など。

 昭和41年、除籍となり、日本からも返還要望があったものの、台風による浸水のため解体。(ただの老朽化による解体説もあり)
 昭和46年12月8日、「駆逐艦 雪風」の錨と舵輪が横須賀市の海上自衛隊横須賀地方総監部に運ばれ、日本に『奇跡の艦』が返ってきた。
 豊田穣著『雪風ハ沈マズ』光人社に、そのときの模様がこうある。

 会場の地方総監部グラウンドに運び込まれた
 「雪風」の錨と舵を見て、
 「こんな姿になってしまったのか」
 「あの雄艦が、これだけになってしまったのか」
 と「雪風」会員たちは泣いた。
 あらためて流れた「雪風」の追悼の涙であり、
 いまは亡き、
 
十六駆逐隊、十七駆逐隊の戦友を葬う涙であった。

 戦後、海上自衛隊の前身である海上警備隊が、初めて日本国内で建造した国産の艦は、甲型警備艦とされた「はるかぜ」。
 昭和29年、組織の改編により、海上警備隊が海上自衛隊となり、「はるかぜ」(DD-101)に次ぐ国産の艦、そして日本初の護衛艦が造られることになった。
 昭和31年就役、「駆逐艦 雪風」の魂を受け継ぐかのように、海上自衛隊の最初の護衛艦には、「ゆきかぜ」(DD-102)の名がついたのである。
 「ゆきかぜ」はその後、昭和60年に除籍となる。

 ちなみに、『宇宙戦艦ヤマト』の第一話「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」において、主人公である古代進の兄、古代守が艦長をつとめる艦は、ガミラス艦隊に集中砲火を浴びる。古代守が敬礼をしながら、撃沈されたその艦の名前も「ゆきかぜ」である。

 「駆逐艦 雪風」については、1964年に松竹より映画化されている。山田達雄監督『駆逐艦雪風』。

2005年11月 7日 (月)

掃海艇うくしま(すがしま型1999)

 7時起床。昨日届いた『CASINO japan』(japanがすべて小文字なので漆器という意味にとられる)や『正論』『論座』などを読む。『正論』では、先月号でチャンネル桜の水島社長が「なぜですか!石原さん」とA級戦犯、靖國神社への考え方で噛みついたので、石原都知事がどう反応するのか興味深く読ませてもらった。朝食をとる間がなぜかなく、問い合わせの電話などもあり、第一部決算特別委員会にちょっと遅刻。昼食は荒城議員と市役所近くの「サッポロ」でチューシューメンの大盛り680円(デジカメを持参忘れ、撮影できず)。さっぱりラーメンなので、あっと言う間に完食。このお店はご夫婦で営まれているが、店の雰囲気には懐かしさをはじめ、なかなかのものがある。午後からは、大変「仲の良い」?教育委員会の審議。先日の産業大学の件も取り上げたいが、大学への補助金のことは教育委員会、その他のことは企画政策課であり、答弁にならない答弁が続く。「私の組織縦割りでダメでゲス」と聞こえる。12月議会で追及することにした。委員会終了後、各種手続きや会社関係の発送。今井議員の事務所にお邪魔し、明日の合併決算特別委員会での認定についての意見交換。旧高柳町、旧西山町には今後も頑張ってほしいし、応援もするつもりだが、合併時の事務処理の不手際については、キチンと追求し議会の意志をしめさないと、なぁなぁの議会になってしまう。井上和彦さんから電話を頂き、先日の放送を見た視聴者から届いた感想などを教えてもらう。全国から「柏崎への海上自衛隊誘致」に賛同の声が元自衛官をはじめ、多く届いているとのことで、嬉しくなる。_1安売りになっていた、マグロや鯛、サーモンの切れっ端が入った刺身に山芋、納豆をかけたもので軽い夕食。19時から柏崎青年会議所の11月例会に出席。今年青年会議所を卒業される先輩のスピーチ大会で、笑いあり、感動ありの味わいのあるスピーチであった。すべての卒業生のスピーチが終わったところで、失礼ながら21時に退席。長岡まで車を飛ばす。長岡では遠く某県から、本人も忙しいなか時間の合間を見つけて新幹線で来てくれた。今後の事業拡張もあわせ、話がかなり盛り上がる。

_1  偶然、コンビニで安売りになっていた食玩を購入した。角形並列煙突という特徴をもつ掃海艇「うくしま」である。機雷を排除する掃海艇は遠くで見たことはあったが、以外にも小さく驚いた記憶がある。機雷は船が触れると爆発するものが主流だが、なかには非接触でも船の磁気や音などを感知して爆発するタイプもあり、その除去は面倒。磁気機雷に対処するため、掃海艇の船体はでできている。エンジンも銅合金を多用するなど、磁気を帯びて、磁気機雷に反応しないように設計されている。装備品である20mm多銃身機銃JM61は、敵を打つという自衛用というよりは、浮遊・浮流機雷を銃撃処分するためのものである。

以下、食玩の説明-------------------

 湾岸戦争時にペルシャ湾に派遣された海自掃海隊は、担当海域の機雷排除を完璧にやり遂げ賞賛されたが、反面、潮流が早く水深の浅い海では従来の機雷掃討具が役立たず、やむなく危険な潜水具による爆破処分に頼らざるを得なかった場面があった。1999年から就役が始まった「すがしま」型は、この教訓から最新の機雷掃討機器を搭載した中型掃海艇である。ソナーで機雷を見つけ出し、これをROVと呼ばれる遠隔制御の無人潜航艇で爆破する機能を重視しており、掃討システムに定評ある英「サンダウン」型と同様のものを採用し、一気にその能力を強化している。

2005年10月24日 (月)

「防人の道 今日の自衛隊」出演

 4時過ぎに都内に到着。やんちゃ時代を過ごした東中野に車を置き、歩いて新宿までふらふら。知り合いの美容院に行ったり、マンガ喫茶に行って『MONSTER』を読んだり、仮眠などをして、久しぶりに「やわやわ」時間を過ごす。

 17時過ぎ、大学生2名、社会人A嬢と待ち合わせて、渋谷のチャンネル桜の会社へ。田形先生の生のお話を是非、若い世代にと、大学生2名、A嬢と田形先生で夕食に。その間、チャンネル桜応援団のUさんをはじめ、色々な人と情報交換。

_zzz 19時からスタジオにて『防人の道 今日の自衛隊』の収録。キャスターは軍事ジャーナリストである井上和彦氏と横浜市議会の片桐紀子議員。ビデオレポートの恵氏がやたら面白い。スタジオには「戦艦 大和」、イージス艦の模型を持ち込む。「第2回大東亜会議」のことやメタンハイドレートを含めた日本海でのエネルギー戦略、自衛艦の命名だけではなく、記念切手の発行による外交カードなどの話もしたかったが、今回はコンパクトにまとめた感じである。

 収録後、大学生2名と一緒にラーメン、炒飯などをバカ食いしたのち、帰路につく。

2005年10月16日 (日)

第2回柏崎自衛隊協力団体合同バーベキュー大会

_rrrr 糸魚川市の五十嵐議員、柏崎市内の方を誘って第2回柏崎自衛隊協力団体合同バーベキュー大会!参加者は

(1) 柏崎自衛隊協力会
(2) 柏崎隊友会
(3) 柏崎・刈羽父兄会
(4) 柏崎自衛隊友の会
(5) 柏崎募集相談員
(6) 第2普通科連隊関係者
(7) 新潟地連関係者

当初、雨がパラついていたが、ロープの結策法を現役隊員から習っているうちにすっかりと晴れ、バッチリの「飲み飲み」モードに。カモフラージュメイクコンテストもあり、五十嵐議員と一緒に参加。顔がでかいので、実践の場では絶好の標的になるとの野次も頂いた。ビンゴゲームでは見事ビンゴし、迷彩バックをゲット。「三井田さん、太ったから運動しなきゃダメだよ」とご指導を頂きつつも、「ほら、そこ肉焼けてるから、食べて、食べて」「あっ、はい、頂きます」となり、陸自缶めしも「もったいない」と食べ、当分は太ったままの予感。夕食はタカノフーズの「国産大粒」とご飯のみとした。